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Oさん

母のお世話になっているグループホーム(GH)でご一緒だった
Oさんが亡くなりました。97歳大往生です。

昨日はGHの家族会だったので、Oさんのご長男にお話し伺いました。

Oさんは戦時中 ご主人と台湾にいらして、ご主人は製糖工場に勤務されていた
とのこと。
戦争が末期になったころには、その砂糖からアルコールを抽出し
それを鹿児島に送り、特攻隊用の片道の飛行機燃料にしたそうです。
そして、戦後、日本に引き揚げていらしたとのことです。

「台湾ではなく、沖縄で大勢の人が亡くなったこと。
もう負け戦になっていたのに、
特攻隊への燃料を作ったこと。。。などなど、母は
沖縄のことをTVで見るたびに悔いていました。」とお話しくださいました。

私の母も、小笠原父島からの引揚者です。
小笠原では沖縄のような戦闘はありませんでしたが、
「私が大好きだった兵隊さんは、私たちを守って、トンネルの向こう側で
爆弾を落とされ死んでしまったのよ」

「アメリカ軍の攻撃が激しくなって、全島引揚命令が出て
本土に帰ってきたけど、すべての道具は敷地に埋めてきた。」
など時々話すことがあります。

きっと、つらい思い出がたくさんあるはずなのに、今の母にとっては
素晴らしい海の色が懐かしい「故郷」の色になっています。

戦争の話は普段なかなか聞くことがありませんが、
体験者からもう少し話を伺って次につなげることは
「戦争を知らない子供たち」と育てられた私たち世代の
仕事の一つではないかと思います。

色かるたで「戦争の色は?」と聞くと、涙ながらにお話しして
くださる方もいらっしゃいます。
しっかりとお話し伺います。
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